大判例

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大阪高等裁判所 昭和56年(ネ)755号 判決 1987年11月20日

控訴人

岩佐嘉壽幸

右訴訟代理人弁護士

仲田隆明

藤田一良

菅充行

新谷勇人

浦功

熊野勝之

柴田信夫

平松耕吉

畑村悦雄

石川寛俊

水島昇

菊池逸雄

被控訴人

日本原子力発電株式会社

右代表者代表取締役

鈴木俊一

右訴訟代理人弁護士

伊達利知

唐澤高美

溝呂木商太郎

水上益雄

中吉章一郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

(申立)

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は控訴人に対し、金四五〇六万〇四〇〇円および内金四〇九六万四〇〇〇円に対する昭和四九年六月一一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行の宣言。

二  被控訴人

主文同旨。

(主張)

当事者双方の主張は、原判決事実摘示と同一(但し、原判決六枚目裏五行目に「同月三日」とあるを「昭和四六年五月三日」と、七枚目裏九行目に「同じの七三」とあるを「同じ七三」と、一六枚目表二行目に「本訴提起時」とあるを「昭和六二年五月末日」と、同表三行目に「同月」とあるを「昭和四八年八月」と、同行目に「本訴提起時」とあるを「昭和六二年五月末日」と、同七行目から八行目にかけて「四九年三月」とあるを「昭和六二年五月末日」と、同八行目に「八ヶ月」とあるを「一六一ヶ月」と、同九行目に「一二〇万」とあるを「二四一五万」と各改め、同一一行目から一七枚目表五行目までを削除し、同表六行目の「(三)」を「(二)」に、一九枚目裏二行目に「(四)」とあるを「(三)」と各改め、二〇枚目表一一行目に「合計」とある次に「うち」を加え、三八枚目表一一行目に「録日」とあるを「翌日」と改める。)であるから、これを引用する。

(証拠)(略)

理由

原判決は、控訴人の阪大病院初診時以降の患部の症状には放射線皮膚炎を疑わせるものがあるけれども、右症状の初発の時期を確定することができないから、症状の側面から直ちにそれが敦賀発電所での作業後間もなくに発症したものであるとは認め難いし、また被曝原因の側面から検討しても被曝につながる具体的危険性を窺知できず、したがって症状の側面から解明しきれなかった点を補充するに足る事情を認めるに至らなかったので、結局、控訴人が敦賀発電所での作業中に被曝したことを認めるに足る証拠はないことに帰するとして、控訴人の請求を棄却したが、当裁判所も右と同様の理由により控訴人の請求はこれを認容するに由なきものと判断する。その詳細な理由は、次に訂正、挿入、削除ならびに付加するほかは、原判決説示の理由と同じであるから、すべてこれを引用する。

(訂正)

原判決五七枚目裏末行に「簿くなり」とあるを「薄くなり」と、六七枚目裏二行目に「化濃」とあるを「化膿」と各改める。

(挿入)

原判決六一枚目裏四行目「いところである」の次に「(この点につき、当審においては証人田代実は先の主尋問に対し、初発の時期を考慮に入れず阪大病院受診時及びそれ以降の症状ならびに種々の検査によって控訴人の患部症状を放射線皮膚炎であると判断した旨供述しているけれども、後の反対尋問においては、初発の時期も判断の資料になっている趣旨の供述をしており、先の供述は後のそれによって補正されたものと解されるから、右判断が初発の時期を考慮に入れた上でのものであることに変わりはないものと認められる。したがって、同証人の当審における証言も初発の時期を前提した上での立論であるとする右判示を左右するには足りない。)」を挿入する。

(削除)

原判決六六枚目表二行目から三行目にかけて「うえ、原告本人がその記載事実を嘘として否定するのである」とある部分を削除する。

(付加)

一  当審における控訴人本人尋問において控訴人は、「昭和四六年五月二七日敦賀発電所での作業の約一週間後、右膝に虫刺されを思わせるような赤味を帯びた黒いような中に米粒大の水疱が幾つか点々とあった。全体の形は丸くて、大きさは直径八センチメートルで痛みもあったので同年六月四日山口医院に行った。山口医院へ行く以前からだったか、その当時だったか、とにかく右発電所での作業後、靴が履きづらく右と左の足の寸法が違ってきて突っ掛けを履く方がいいという状態になった。右足の甲が腫れていた。その後、水疱自体はおさまった。しかし、最初の水疱が出てから一か月か或いは二か月であったか、何回か同じような赤みが段々黒くなってきて、何回か繰返した。水疱ができたり、また減退したりという形で。一か月後に出たときの大きさは最初より大きくなった。形は同じような形で、その範囲が大きくなっていた。一か月後の色は最初より黒くなっていた。それと大体同じような黒さで阪大病院初診時および昭和四八年八月二八日まで続いた。」旨の供述をしている。しかしながら、右供述(但し、阪大病院初診時以降に関する部分を除く。)を裏付けるに足る客観的資料は存しない。

二  当審鑑定人青木敏之、同菱澤德太郎の鑑定の結果および当審証人靑木敏之、同菱澤德太郎の証言(以下、これらを合せて青木、菱澤鑑定という。)は、控訴人の右膝患部の炎症の発生機序の説明につき二元論を採用し、過去に控訴人の右膝に急性放射線皮膚炎が発生し、これが一たん鎮静化したものの、右放射線皮膚炎のため同部位が外力に対する抵抗力の低下をきたし、その後その付近に起った細菌感染か虫刺のために強い炎症(炎症の遷延と強い色素沈着)を来たした可能性があると考えられると推論し、鎮静化した放射線皮膚炎をいわゆる「記憶された障害」と呼び、このようにして生じたと考えられる控訴人の患部炎症を放射線皮膚炎といえるか否かはともかく、少くとも以前にあったと考えられる放射線皮膚炎がなかったならば、生じなかった旨の結論を示している。しかしながら、仮に炎症の後にいわゆる「記憶された障害」が残るとしても、後に起こる細菌感染等に対する抵抗力の低下をきたす原因となる炎症が放射線皮膚炎だけであって、他の疾患によっては抵抗力の低下をきたさないとの論証はされていないのであるし、また右鑑定の結論は控訴人が敦賀発電所における作業中に被曝し、これにより急性放射線皮膚炎が発生したことを仮定し、これが一たん治癒した後、さらにまた細菌感染などがあったものと推定して(当審証人青木敏之は、臨床写真だけから細菌感染と虫刺を考えたが、これを確認すべき検査所見はカルテにない旨証言している。)、強い炎症を来たしたとするものであるから、一つの仮定と一つの推定の上に成立しうる推論である。したがって、控訴人が敦賀発電所で被曝し、これにより急性放射線皮膚炎が発生したとする仮定が肯定されない以上、右判断は成立しないというべきである(なお、この推論が客観的証拠にもとずくものでないことは青木、菱澤鑑定の自認するところである。同鑑定書二六頁参照。)。それゆえ右推論はこれを直ちに採用することはできない。

三  当審鑑定人日戸平太の鑑定および当審証人日戸平太の証言(以下、両者合せて日戸鑑定という。)によると、ブッキーの境界線(原判決説示の如く、ベーター線の皮膚に対する作用とほぼ同視できる作用をする。)五〇〇ないし八〇〇レム程度の照射では強い紅斑が発生するぐらいであって、水疱までは発生しないという。若しそうならば控訴人の前記供述にある如くその患部にみられた水疱は本件で想定されたべーター線五〇〇レム程度の被曝(一回)による放射線皮膚炎との整合性を否定する資料になる。しかしながら、原判決の説示するように放射線感受性にはかなりの個人差があるとの事情に青木、菱澤鑑定の結果を合わせ考察するときは、かりに控訴人の患部に水疱の発生した事実があったとしても、これを目して直ちに右放射線皮膚炎との整合性を否定する資料になるとは即断しがたいのである。

四  日戸鑑定によると、ブッキーの境界線一、〇〇〇レム以内の被曝(一回)によって誘発される色素沈着は数か月以内に消退するのが一般であると認められるから、控訴人の患部の色素沈着が原判決認定の如く遂には消退したこと自体は(その形成された時期如何を別にすれば)、急性放射線皮膚炎との整合性を否定するものではない。しかしながら、控訴人は前記のように「右膝患部の色素沈着は初発時から阪大病院受診時に至る二年数か月間少しずつ黒さを増しはしたものの、変ることなく存続した」との趣旨の供述をしているから、もしこれが事実ならば(この供述を裏付けるに足る客観的資料の存しないことは前記のとおりである。)、右症状はベーター線五〇〇レム程度の被曝(一回)による急性放射線皮膚炎との整合性を欠くことになる。

五  控訴人は前記の如く、「初発の病巣がその後次第に拡大した」との趣旨の供述をなし、かつ、阪大病院初診時にはその病巣が一〇・五×九・〇センチメートルの大きさになっていたことは原判決の認定するところであるけれども、日戸鑑定によると、放射線皮膚炎そのものはその照射野のみに発生し、その後にその病巣が拡大してゆくものではないことが窺われるから、もし控訴人の右供述が事実ならば(これを裏付けるに足る客観的資料の存しないこと前示のとおり。)、控訴人の右病巣拡大は放射線皮膚炎との整合性に疑問を残すものである。

六  控訴人は前記のように、昭和四六年六月四日当時(山口医院受診時)同人の右下腿に浮腫があった旨供述しており、また成立に争いのない甲第八号証(阪大病院カルテ)および原判決の認定した阪大病院初診時以降の控訴人の症状によると、昭和四八年八月一四日以降同年一〇月一三日までの阪大病院受診期間中に控訴人の右下腿部の浮腫および右膝患部の発赤(紅斑)はその発生、増強を数回繰り返し、時に疼痛をともなったことが認められるところ、日戸鑑定は、さらに病巣部(右膝患部)にも浮腫の繰り返す発作があったとし、以上これらの炎症、症状の発生は控訴人の患部の疾患を血栓性静脈炎(静脈血栓症)とみれば説明がつく旨述べている。しかしながら、控訴人の患部には血栓性静脈炎では一般的にあるとされる血管壁の破壊がないし、また、うっ滞性皮膚炎の特色とされているヘモジデリンの沈着も見られないこと並びに静脈不全(静脈うっ血)の好発部は一般に下腿内側下三分の一の部位とされていること(控訴人の患部は右部位ではなくて膝である。)は、いずれも日戸鑑定の自認するところであるから、これらの点を勘案するときは、控訴人の本件疾患をもって血栓性静脈炎であるとはにわかに断じ難いのである。

七  当審(人証略)の各証言によるも原判決が「被曝原因」の章(第二章)において説示する認定判断を左右するには足りない。

よって、控訴人の請求を棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、民訴法三八四条、九五条、八九条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荻田健治郎 裁判官 阪井昱朗 裁判官 渡部雄策)

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